注意事項
- 含有刀身(不管長短、包含斷刀),槍等皆無法協助進口,無購買許可證明無法購買。
弓道、太刀、山刀、箭類商品皆無法協助進口,無購買許可證明無法購買。
google & Excite翻譯僅供參考,詳細問題說明請使用商品問與答
【所 見】
- ・登 録:令和弐年六月弐拾日 東京都 第322151号
- ・種 別:太刀
- ・時 代:鎌倉時代後期(時代保証)
- ・鑑 定:未鑑定
- ・銘 文:伝、大和千手院(旧審査、義弘極)
- ・刃 長:六十八・二〇糎有之
- ・反 り:二・一〇糎有之
- ・元 幅:二・六〇糎有之
- ・先 幅:一・六〇糎有之
- ・元 重:〇・六〇糎有之
- ・先 重:五百三十瓦有之
- ・釘 孔:参個(内壱埋)
- ・形 状:鎬造り、庵棟、身幅・重ね尋常な反り深く、鋒が伸びた優美な太刀姿、時代の古さを感じさせる
- ・地 鉄:小板目肌に小杢目肌がよく詰み、地錵がよくつき、清涼な地金となる
- ・刃 文:錵出来互ノ目乱れ刃、足がよく入り、物打ち付近に大きな互ノ目乱れ刃を表裏に焼く
- ・中 心:雉子股形産茎、釘孔内壱個産
- ・外 装:金梨地葵紋散糸巻太刀拵、白鞘拵、木ハバキ
【特 徴】
大和千手院一派は大和伝五派の中でも最も歴史が古く大和國の若草山(現在の奈良縣奈良市の奈良公園東端に位置する山)の西山麓辺りに千手谷と呼ばれる地がありかつてこの付近に実在した僧院に属していたことから千手院の呼び名が付いたとされる。古伝書等では平安時代後期の刀工「行信」あるいは「重弘」を始祖としているが実際には確かな在銘品は発見されておらず鎌倉時代初期になって「千手院」「大和国住人重行」等の在銘の太刀が確認されている。以降南北朝時代までの最盛期に重永・行吉・行正・力直・定重・力王・国吉・義弘等の数多くの名工が輩出された。本作は鎌倉時代後期の大和千手院一派の数少ない作例の一つで優美な反りを有した古雅な太刀姿からは時代の古さを感じさせる。小板目肌に小杢目肌がよく詰み地錵がついた綺麗な地金に錵出来互ノ目乱れ刃を焼き足がよく入り物打ち付近に大きな互ノ目乱れ刃を表裏に焼いている。特に地金が素晴らしく恐らくは大名家に伝わった特別な一作であろう。何より産太刀の型体が素晴らしい。旧所有者の証言では本刀は薩摩島津家の刀剣目録所載の一振りで旧来は千手院義弘として極められていたとのことである。参考までに資料「薩摩島津家刀剣目録」で確認すると藏番号「中一ノ三七」に「義弘極 二尺二寸五分」で酷似した太刀が確かに所載されている(公爵島津家藏品入札目録には上がっていない)。陰陽に意匠された葵紋が目を引く古い金梨地葵紋散糸巻太刀拵が附帯しており本刀に一層の華が添えられている。薩摩島津家の藏刀に何故徳川家の葵紋が意匠されているのかは今後の研究の余地があるが「寛永十四年二月十八日従第十八代太守家久公第十九代太守光久公へ御譲被進候」の伝来で同じく梨子地葵紋鞘形蒔絵の藏刀が確認できる。兵庫縣芦屋市在住の薩摩刀蒐集家のコレクションの一つで大切に伝えられており幾星霜の刻を経た現在迄良くぞ持ち堪えてくれたと関心させられる。大和千手院の産太刀鎌倉後期を降らない貴重な現存作であると共に他の大和四派には観られない刃中の多彩な変化を示した優品也。※ご入札の前に自己紹介欄(草薙廼舎より御入札に際しての御注意)を必ず御一読下さい。貴重な文化財として手入れ・保存が出来る御方のみ御参加下さい。大変高級な一振りのため発送の際には専用の箱に入れて厳重に梱包させて頂きます。落札者様は落札して購入後「銃砲刀剣類所持等取締法」にもとづき都道府県の教育委員会に所有者変更の届出が必要となっております。 >